【blog】大本営地下壕見学 – 防衛省など市ヶ谷地区を見学

市ヶ谷地区見学という防衛省が実施しているツアーに応募して行ってきました。防衛省敷地内や極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷となった大講堂が復元された「市ヶ谷記念館」、「大本営地下壕跡」の見学ができ、かなり広い敷地内を見学できるので所用時間は2時間半くらいだった。見学午前と午後の見学会があり、定員人数は10〜20名ほどでしょうか。地下壕見学が含まれるのは午後の部のみとなる(有料:700円)。この記事では「大本営地下壕」を取り上げます。

この地下壕は1941年8月から1942年12月にかけて建設され戦後GHQによって接収されました。当時の技術でこの期間にどれだけの労力があってこんな巨大な空間が作られたのか資料がないのでわからないそうです。防空壕として作られてはいますが実際どんなことが行われていたなど多くの用途が不明な点が多いようですが、昭和20年8月10日、ポツダム宣言の受託を決断した昭和天皇の聖断を陸軍省幹部に伝えた場所がこの地下壕にあった通信室でした。

地下壕内には3つの通路の出入り口や通信室、大臣室に風呂トイレ、炊事場の跡もあり秘密の地下施設のようであリました。スタッフのおじさんが下の剥き出しになった鉄骨部分を推していました。確かにかなりしっかりした作りで、建築関係の人は熱いポイントなんでしょうか。3つの出入り口の扉は500キロの弾に耐えられる堅い鉄扉だったらしい。(現在はない)他にも配電盤や接収後に壁に書かれた「No Smoking」の文字など残っています。

配電盤
GHQによる「No Smoking」の文字

地上につながる空調の配管部分があります。見つからないように当時は地上で灯籠でカモフラージュしていた。西階段、東階段部分は現在は閉じてしまったため見学することはできないがiPadを使って見ることができた。当時階段の先にあった陸軍省へつながる通路、建物はどんな感じだったのだろう。

地下壕内は足元が悪いのでお気をつけください。ポッドキャストもよろしくお願いします。


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